どうせお金を使うなら地消で満足感を高める
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あるアメリカ人のコメントに感銘を受けました。
「僕たちはなるべく自分の住む街で食事や買い物をする。自分の街が潤えばやがて僕たちにもその恩恵があると信じているから。」
ごめんなさい。アメリカ人ってあまりそんなこと気にしないと思っていました。
考えてみれば日本より州の形で地域が独立しているから、街のための意識が高くてあたり前なんですよね。
私は自分の街のためにお金を使うなんて考えたこともなかったです。だからアメリカ人のコメントに衝撃を受けました。なんて素敵な考え方なんだろうと。
日本の物流は発達しています。街を見渡せば一般的な物なら、どこでも同じものが売っています。
食事だってチェーン店が多くあり、何処に行っても見慣れたお店がたくさんあります。
なのに私は私の都合で、行きあたりばったりで買い物や食事をしています。アメリカ人のコメントが深く突き刺さります。
自分の街でも買えたり食べたりできるものを「他の街で済ましてた」
どうせ使うお金だから自分の街のために使えば良かったと後悔しています。
この考え方を飛躍させるとあることに気づきました。
私は地方の田舎から大阪に出て来ました。当然、大阪でお金を稼ぎ都会で使っています。
田舎は人口が減り財政も悪く、衰退する一方です。そんな地元のために少しでも協力できることのヒントがアメリカ人のコメントにありました。
「そうだ、都会で稼いだお金を少しでも地元で使おう」
ふるさと納税などもありますが、私は帰省したときになるべく地元でお金を使うようにしています。
無駄遣いはできないので、どうせ買うことになる物があるなら地元で買ってしまおうと考え購入しています。
ほしい本や消耗品は田舎にも売っていますから。
本来なら地元に住んで街のために尽くせば良いのですが現実はそうもいきません。
私を育てたのは間違いなく地元の田舎であり、両親も住んでいます。私は恩返しをできているだろうか。そんな気持ちに後押しされて帰省のときには、お金を沢山使うのです。
少しでも地域のためになり、両親が楽しく暮らせる街になるように。
稼いだお金は自分の物だけど、自分を支えている街や家族にお返ししていますか?
簡単にお返しする方法。それは自分の街でお金を使うこと。無理のない恩返しの方法です。
「自分が使ったお金はどこに行くのか?」
自分に必死な日常の中で忘れている意識です。
お金は回ります。みんなのお金だから有効な場所で使う。それだけでお金を使うときの満足感が少し高まります。