悔しいガッカリした裏に小さな満足感の存在
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仕事やスポーツでここぞというときに自分が選ばれなくてガッカリする。私も最近そんな場面がありました。
選ばれるって特別なことで、選ばれることにより私も特別な部類に入りたいと願っていました。特別になりたい。誰もが願うことです。
選ばれるのは特別なことであり、選ばれないのが普通なのに、なぜ私はガッカリするのでしょうか。
それは私には自信があったからです。私なりに頑張った。まわりと比べても負けてない自負がありました。
今思えば私の自信は自己評価に基づくものであり、本当に特別な存在である確証はありません。私が私を評価するため、甘めの採点になっている可能性も否定できません。
とにかく自信があったのにガッカリ。私はガッカリするのが嫌いです。ずっと心に引っ掛かり気分の上昇を妨げるからです。
なかには選ばれなくてもガッカリしないタイプの人もいます。いつもヒョウヒョウとしているそんな人がうらやましいです。
ガッカリは期待と現実のギャップで生まれます。自分に自信があり負けず嫌いの人ほどガッカリする機会が多くなります。
私は思います。自信と負けず嫌いを取り払えばガッカリしなくなるのではと。でも、自信と負けず嫌いは私をこれまで支えてきた「エネルギー」です。取り払うことは難しいです。
そこで私は思いました。自信と負けず嫌いをガッカリに使わず、次こそは選ばれるぞという方向に使おう。
エネルギーは「現在に使うのでなく常に未来の方向」に使うべきです。
たかが選ばれなかっただけの話。私には自信と負けず嫌いの根性があります。次こそは特別な私になれるはずです。
いうならばガッカリの原因は私を支えるエネルギー源です。それがあるだけでも幸せで常に明るい未来が待っている。そう思えばガッカリしたはずの自分に満足感を得ることができます。
悔しいとかガッカリを感じるのは自分が頑張っている証拠です。その瞬間はつらいですが、この先またまだやれると思うべきです。
自分に期待できる。こんなに幸せなことはありません。結果の半分は運。重要なのは自信を持ち負けず嫌いな自分をほめることです。
自信と負けず嫌いのエネルギーは「自分の未来のために有効に使う」人生は長い。次、次と切り換えて突き進もうではありませんか。
サッカーの日本代表の選手は勝っても負けてもインタビューで「切り換えて次の試合の準備をします」と語ります。今に一喜一憂しない。常に次を見るイメージが大切です。
ガッカリする自分は捨てたもんじゃない。マイナスの中に自分の強さを見いだせばガッカリの中にも小さな満足感を見つけることができます。